2014年5月6日火曜日

広島市のイヌノフグリ事情

今年の3月に、日本生態学会の大会に参加するために広島市を訪れた。


朝、宿から会場へ向かう途中。
歩道脇のわずかな隙間にコケと共に草が生えていることに気がついた。
生育していたのはツメクサ(もっとも、市街地のツメクサは実はハマツメクサのこともあるらしいのだが)、外来種のマメカミツレ、そしてオオイヌノフグリに似た種類の分からない草本。

オオイヌノフグリに似ているものの、光沢のある無毛で肉厚の葉やピンク色のつぼみなど明らかに違う特徴を持っていた。この仲間でピンクの花を咲かせるのは在来種のイヌノフグリである。しかし、環境省のRDBで絶滅危惧Ⅱ類に指定されるイヌノフグリが都会のど真ん中に生えているものだろうか、と疑問に思い、標本を取った。


その日の昼頃、信号待ちをしていたところポールの根元に再びその草を見つけた。

日が当たっていたためだろう、ここでは開花していた。
オオイヌノフグリと比較して二周りほど小さな愛らしい花である。

その後、採取した標本を研究室の先輩にお見せしたり、自分でも図鑑を調べたりしてイヌノフグリVeronica polita var. lilacina であることを確認した。

フラサバソウVeronica hederifolia







日本で見られるイヌノフグリの仲間、つまりクワガタソウ属(Veronica)には多くの種類があるが、平野部でいわゆる雑草として見かける機会が多いものとしてはオオイヌノフグリの他にタチイヌノフグリ、フラサバソウがあり、いずれも帰化植物である。
そのうち、市街地(主に広島駅~平和記念公園周辺)において、僕が歩いた範囲ではタチイヌノフグリとフラサバソウは比較的多く、時にイヌノフグリと混生していたが、オオイヌノフグリは全くと言っていいほど見当たらなかった。


2日後。

植物観察のために研究室のメンバーと広島市北部を訪れた。
森林や畑が多く残る郊外で、市街地よりも自然豊かに見える場所。しかし、こちらではイヌノフグリは全く見られず、かわってオオイヌノフグリとフラサバソウの天下となっていた。





全国的に見てイヌノフグリは減少傾向にある種で、環境省のRDBでは絶滅危惧Ⅱ類、都道府県単位では36都府県で絶滅危惧種の指定を受けている。
一方で、広島県では絶滅危惧指定を受けておらず、広島市でも希少種扱いは受けていない。「広島市の生物-まもりたい生命の営み-(2004年)」には”市内に広くみられ、近年とくに変化はない”とあり、全国的には稀少となったイヌノフグリが広島市では大幅に減少することなく生き続けているようだ。

市街地のど真ん中で絶滅危惧種のイヌノフグリが出現したことに違和感を覚え、ひょっとして外来系統なのでは、とも疑ったが、この報告を見る限りは昔から残ってきた個体群と考えてよさそうだ。


イヌノフグリの現状や帰化種との関係について高倉ら(2011)の報告がある。
近畿や瀬戸内地域で主に研究をされているようだが、それによればイヌノフグリはかつては道端などにも出現したが、現在では石垣環境にやや選択的に生育するという。一方、オオイヌノフグリが生育しない島嶼では今でもイヌノフグリが地面に普通に生育するという。
また、オオイヌノフグリの花粉をイヌノフグリに付ける実験を行ったところイヌノフグリの種子形成が低下したが、逆の実験を行ってもオオイヌノフグリの種子形成は影響を受けなかったことから、オオイヌノフグリが一方的にイヌノフグリの繁殖に悪影響を与える可能性があるという。かつては広く分布していたイヌノフグリは外来のオオイヌノフグリに繁殖を邪魔されるなどして数を減らし、オオイヌノフグリの生育しづらい石垣などに生える個体群だけが生き残ったと考えられるそうだ。


広島市のイヌノフグリに話を戻す。

今回、イヌノフグリが生えていたのは石垣ではなく、一見何の変哲もない道端のわずかな地面だった。石垣同様に土壌に乏しいことがイヌノフグリにとって好適で、一方オオイヌノフグリには厳しい環境ということなのだろうか。詳しいことは分からないが、帰化種のタチイヌノフグリやフラサバソウが生育していたことから、オオイヌノフグリのタネだけが侵入できていない、ということは考えにくく、何らかの環境要因が関わっているのだと思う。
また、市街地は郊外と比べて古くに開発されて、現在は比較的安定した土地であることも影響しているかもしれない。


タチイヌノフグリなど他の帰化種から何らかの影響を今後受ける可能性は否定できないが、現状が維持される限りイヌノフグリはしばらく安泰と考えてよさそうだ。都市部は単なる自然の少ないコンクリートジャングルではなく、時に希少な生物の住処として機能する環境でもあるといえる。
一方、郊外に出てみればオオイヌノフグリが優勢であり、少しでも環境が変化すれば一気にオオイヌノフグリが広がる可能性も考えられる。仮に大規模な再開発が行われた時に、市街地がイヌノフグリの生育地として今まで通りに機能し続けるのかは疑問である。

大都市の一角にも、時に貴重な生き物が住んでいることに注目してもらえたら、と思う。




※今回の記事で市街地としたのは広島市中区の広島駅~平和記念公園周辺、郊外としたのは安佐南区~安佐北区です。正確な区分ではないのでご了承ください。



<参考・引用>
・神奈川県植物誌20011. 神奈川県植物誌調査会編. 神奈川県立生命の星・地球博物館発行. 2001年7月20日発行.
・広島市の生物-まもりたい生命の営み-. 広島市環境局環境企画課. 2004年3月発行.
・野に咲く花. 林弥栄監修・平野隆久写真. 山と渓谷社. 1989年10月1日 1刷発行、2008年7月1日 20刷発行.
・イヌノフグリの”多型”-石垣環境への適応と種子散布者との関係-. 高倉耕一・西田佐知子・西田隆義. 2011年. 日本生態学会関東地区会会報第59号.








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